このブログは、私shioと、現在、大平に暫定滞在中のsuwaが気ままに書いています。
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2008年5月15日木曜日

この補助事業を申請しようと思った日のこと

新たな公によるコミュニティ創生支援モデル事業は、国土交通省の補助事業として、4月から申請の受付が始まりました。
この事業の目的については、公式HP(「新たな公」)をごらんいただければわかるかと思いますが、当初、このモデル事業の内容としては、宇和島市全市を対象とした虹色ツーリズムのブラッシュアップ的な事業について作文していました。

そのほかに、モデル地域を絞ったものもいくつか作ってはいたのですが、どれも自分の中で漠然としすぎていて、背骨が通っていない感覚を持ちながら、締め切りまでどれを出そうか出すまいかと悩んでいました。

そんな中、ここ大平へ取材で出かけることとなり、昨年から何度か通っていた棚田とあらためて向き合うこととなりました。
5月15日のことです。



この日この場所を訪れたのは、広報「宇和島」6月号に、ここ大平に住んでいる豊島さんの寄稿につけるスナップ写真を撮るためだったのですが、同じページにある「どがいもこがいも」でも市民の方にあまり知られていない「大平の棚田」について知っていただく機会になればと、いい撮影ポイントがないか、右往左往しておりました。
そこにちょうど居合わせたのが、ここ大平地区の自治会長の森田さんです。
このとき、森田さんは覚えていないかもしれないのですが、私たちにこう言われました。
「ここは限界集落やけん。今のうちに写真とっとってくれよ。」

ここが「限界集落」と呼ばれる場所だということは、ずいぶん前から知っていたのですが、お恥ずかしいことに、このとき初めて「故郷がなくなる」という現実を、わが身におきかえてリアルに感じました。
私は、宇和島市内に住んでいますが、故郷と言える場所は、同じ宇和島市の海岸にある小さな集落です。今はまだ若い人たちも少し居ますが、同級生(全員で18人しかいません)のうち、私を含め、ほとんどの人間が実家から出て行っており、地元に住み続けているのは、たったの三人しかいません。他人事ではないですよね。

そして、この地区の唯一の「若者」豊島さん。豊島さんは、去年のツーリズムのワークショップのときに、「何をしてみたいのか」という問いに対して、「できるかどうかは別でもいいんかね」と前置きの上で「丸太小屋を一からみんなで作りたい」という夢を話してくれました。

これは、何かひとつの物語になるんじゃないのかな。限界という言葉の響きに抵抗する力になるんじゃないんかな。そう思いながら、補助申請を再び書き始めました。地方整備局の締め切りまで、ちょうど一週間というタイミングでした。

ちなみに、この広報、当初は吉田町の某研究員に寄稿いただくところ、原稿があがらなかったため、豊島さんに急遽スイッチしたんですよね。つまり、その研究員さんが「今月かけんけん、別の人に頼んでや♪」と言わなければ、そしてこのとき、森田会長のつぶやきを聞かなければ、このタイミングでここに来ることも補助申請をあげることにもならなかったはずでして。

ついでに言うと、所管課から直接起案したものでもないため、ぎりぎりまで、地方整備局とやりとりをしてくれて、申請書の郵送のために、時間外で郵便局に走ってくれた企画調整課のS先輩の存在も大きいんです。書類の最終確認で、ほとんどパニクってた私に笑顔で冷静に書類チェックをしてくれて、精神的にとても和みました。
いや、無事採択できたから良かったのですが、今となっては、私にはこれが全て、めぐり合わせのように思えます。