このブログは、私shioと、現在、大平に暫定滞在中のsuwaが気ままに書いています。
書き手が複数人おりますので、コメントなどをいただきます場合、投稿者をご確認ください。

2008年8月19日火曜日

どきどき・・・住民の方とはじめての顔合わせ

この日は、山の神様のお祭りの日とのことで、大平までの道の草刈作業とあわせて、住民の皆さんの寄り合いがあるとのことで、この事業の説明にお邪魔させていただくことになりました。
こっちの棚田は、もうお米が黄金色です。

元々住んでいる人が少ないので、草刈作業も大変。街中なら、みんなで取り掛かって涼しいうちに終了してしまうような作業も半日仕事です。ちょうどお昼頃に着いたのですが、まだまだ皆さん作業途中でした。
私たちが早く来てしまっていたため、皆さん帰られてお風呂に入られる時間もないままで、説明会に入らせていただきました。
一番左の方が森田会長さんです。
会長さんの何気ない一言が、この事業の申請のきっかけにもなったわけで、そのおかげでここの皆さんと出会う機会ができたわけで、なんだか人生ってほんとに面白い。
最初は、何がなんだかだったみたいのみなさんですが、少しずつうちとけてきて、和やかにいろいろな話を聞かせてもらいました。海岸が里の私にとっては、目からウロコなお話がたくさん聞けて、ああ面白い。
本格的な作業は、9月議会の予算議決を受けてからになりますが、どうせやるなら楽しくやりたいし、できるだけたくさんお話を伺う機会を作りたいです。
しかし・・・あらためて見直すと、ほんっっっと私日焼けひどいなぁ・・・。シーカヤックやってる補佐とあんま変んないし・・・ショックだ。

2008年8月1日金曜日

大平でお手伝い

8月の1日から、大都会のコンクリートジャングルで働いていたU君が、農家の生活に触れたいとのことで、やってきました。

最初にこのお話をいただいた時に、宇和島市内で、いくつかの候補先を提示させていただいたのですが、あの段畑やあの三間町などの並み居る競合地域をおしのけ、なぜか大平に行きたいとのことで(笑)あらまぁ、なんて物好きな人も世の中いることかしらんと思いつつ(爆笑)本当に連れて行きました。

大平って行ってしまうと逃げ帰るのも大変なほど山奥なんですよね。前夜には、岩松組の皆さんに、散々脅されながらの大平入りでしたよ!でも、意外にすんなり馴染んじゃったんですよね~。

そんなわけで、豊島さんちのユーカリの草引き作業です。結構喜んでやってるあたりがまた・・・。あたしゃ、へとへとでしたがな。 大平に行くには、国道沿いにある「風園」というポケットパークから少し宇和島よりの横道を入っていきます。虹色つー研究員の井伊さんが、家族でふらっと行こうと思い立ち、ナビゲーション使って行ったらしいのですが、全然予測してなかったみたいで、あまりの細さにえらい目にあったらしいです。そんな場所なので、人をお連れする場合は、風園を目印にしてもらってます。このときはお休みだったのですが、アヒルのご家族がお住まいなんですよ!
電力のMさんと一緒に、へんろ道を登ったのですが、大平から山を越えると、すぐ愛南町になります。こうやってみると、すごく高い感じがしますよね。気持ち呼吸が苦しくなった気がします・・・。
そして、Uくんの友人も来てくれました。なっその田んぼの草引きをやったのですが、ここだけ見ると、どろんこ美容みたい。
豊島師匠に教わりながら作業をしていたのですが、豊島師匠もなんちゃって農業者なので(笑)結構、大味な指導・・・。その分、気楽に楽しくやることができました。
稲の間の草をひくわけですが、結構キリがないんだな・・・。
三列くらいでギブアップ。しかも一枚分の終わりまでよういかんかった・・・。ほんと農業って大変だぁ。
まだまだ日差しがきつーい日のこと。玉のお肌が結構真っ黒になりましただよ・・・。 あぜには小さな花がいくつかあって、作業してるとほっと和みます。時々へびも出てくるらしいですが。
なっその田んぼは、前述のとおりかなりおそーい田植えだったので、稲刈りはもう少し先のことになりますが、自分が少しかかわったと思うと、待ち遠しいものです。
Uくんのアテンドをきっかけに、Uくんのほかに3人の市外在住者に大平へ来て田舎体験もどきをしていただいたわけですが、皆さん喜んでいただけたみたいで、私も嬉しかったなぁ。
もっともっとたくさんの人に宇和島のよさを知ってもらえるようがんばろうと思います。

2008年6月14日土曜日

「なっそ」の田植え

宇和島市の中の津島町という町は、とても面積が広く、山奥からゼロメートル地点まで、とにかく広い!広すぎ!!

あまりに広すぎて、地域間交流というのも、なかなかしずらいんじゃないかと思うのだけど、反面、とても特有の地域性が独立して存在している地域という気がしています。

なかでも日本で一番美しい言葉を話していたと言われる岩松という地域は、「てんやわんや」という小説の舞台にもなりました。この名前を聞いたことがある方もいらっしゃるかと思いますが、この小説は、獅子文六さんが疎開してきた「岩松」の地(ちなみに疎開していたお宅は今でも健在で、「大畑旅館」といいます。)で、岩松の人々を題材に書かれたものです。
この「岩松」というまちは、津島町の中でいわゆる「おまち」。昭和の懐かしい町並みが今もそこかしこに残り、岩松川ののどかな景色とあいまって、なんとも風情のいいところなのですが、この町並みを保存していこうと国の「伝統的建造物群保存対策調査」が入り、保存会が出来て活動を行っています。


そして、そのシンボルともなっているのが、「西村酒造」の酒蔵です。この建物は、市に寄付されているもので、町並み保存会を中心に活用方法が模索されています。でも、酒蔵があってお酒がないってのもさびしいよね~。そんな発想から、岩松のどぶろく「なっそ」が誕生することになりました。「なっそ」は、愛媛県で最初にできた「どぶろく特区」を利用したお酒です。真っ白な白い姿は、なかなか美人なお酒なのだけど、お味はすっきり辛口で、男前な風味です。

この日、そのなっその今年の新米(予定)の田植えがありました。去年は、機械に使われていたHくんも、今年は余裕の操作です。虹色ツーリズム研究員も加わっての作業で、結構大人数。このブログのタイトル画像もこのときの写真なんですよ。「遊海」さんにホームステイしていたビザくんも、人生初めての田植え体験でした。 アメンボが悠々と泳いでます。
お約束ですが、子どもたちもおおはしゃぎ!
職員も教えてもらって、がんばりました。ちなみに、左のTくんは、帰宅してみると、蛭に足をかまれてたみたいです・・・(汗)
テンガロン風の麦わら帽でインタビューに答えているのが、保存会の会長の兵頭さん。いつもにこにこ本業は電気やさんです。 御殿町画廊の福島さんに、田植え指導してくれたのは、ご当地で四国の道のパトロールをしてくださっている源太郎さん。ちょっと耳は遠いですが、4トントラックをばりばり乗りこなす元気なおじいちゃんです。

自分もちゃんと植えたんですよ!
ちゃんと田んぼ入ってるぞ!記念撮影♪

普通のお米の収穫時期よりは少し遅くなると思いますが、自分で植えたお米がお酒になるなんて楽しいです。

大平のような山の中と、岩松のようなおまちをうまく繋げる仕組みができればいいんだけどな。

2008年5月15日木曜日

この補助事業を申請しようと思った日のこと

新たな公によるコミュニティ創生支援モデル事業は、国土交通省の補助事業として、4月から申請の受付が始まりました。
この事業の目的については、公式HP(「新たな公」)をごらんいただければわかるかと思いますが、当初、このモデル事業の内容としては、宇和島市全市を対象とした虹色ツーリズムのブラッシュアップ的な事業について作文していました。

そのほかに、モデル地域を絞ったものもいくつか作ってはいたのですが、どれも自分の中で漠然としすぎていて、背骨が通っていない感覚を持ちながら、締め切りまでどれを出そうか出すまいかと悩んでいました。

そんな中、ここ大平へ取材で出かけることとなり、昨年から何度か通っていた棚田とあらためて向き合うこととなりました。
5月15日のことです。



この日この場所を訪れたのは、広報「宇和島」6月号に、ここ大平に住んでいる豊島さんの寄稿につけるスナップ写真を撮るためだったのですが、同じページにある「どがいもこがいも」でも市民の方にあまり知られていない「大平の棚田」について知っていただく機会になればと、いい撮影ポイントがないか、右往左往しておりました。
そこにちょうど居合わせたのが、ここ大平地区の自治会長の森田さんです。
このとき、森田さんは覚えていないかもしれないのですが、私たちにこう言われました。
「ここは限界集落やけん。今のうちに写真とっとってくれよ。」

ここが「限界集落」と呼ばれる場所だということは、ずいぶん前から知っていたのですが、お恥ずかしいことに、このとき初めて「故郷がなくなる」という現実を、わが身におきかえてリアルに感じました。
私は、宇和島市内に住んでいますが、故郷と言える場所は、同じ宇和島市の海岸にある小さな集落です。今はまだ若い人たちも少し居ますが、同級生(全員で18人しかいません)のうち、私を含め、ほとんどの人間が実家から出て行っており、地元に住み続けているのは、たったの三人しかいません。他人事ではないですよね。

そして、この地区の唯一の「若者」豊島さん。豊島さんは、去年のツーリズムのワークショップのときに、「何をしてみたいのか」という問いに対して、「できるかどうかは別でもいいんかね」と前置きの上で「丸太小屋を一からみんなで作りたい」という夢を話してくれました。

これは、何かひとつの物語になるんじゃないのかな。限界という言葉の響きに抵抗する力になるんじゃないんかな。そう思いながら、補助申請を再び書き始めました。地方整備局の締め切りまで、ちょうど一週間というタイミングでした。

ちなみに、この広報、当初は吉田町の某研究員に寄稿いただくところ、原稿があがらなかったため、豊島さんに急遽スイッチしたんですよね。つまり、その研究員さんが「今月かけんけん、別の人に頼んでや♪」と言わなければ、そしてこのとき、森田会長のつぶやきを聞かなければ、このタイミングでここに来ることも補助申請をあげることにもならなかったはずでして。

ついでに言うと、所管課から直接起案したものでもないため、ぎりぎりまで、地方整備局とやりとりをしてくれて、申請書の郵送のために、時間外で郵便局に走ってくれた企画調整課のS先輩の存在も大きいんです。書類の最終確認で、ほとんどパニクってた私に笑顔で冷静に書類チェックをしてくれて、精神的にとても和みました。
いや、無事採択できたから良かったのですが、今となっては、私にはこれが全て、めぐり合わせのように思えます。