こっちの棚田は、もうお米が黄金色です。
会長さんの何気ない一言が、この事業の申請のきっかけにもなったわけで、そのおかげでここの皆さんと出会う機会ができたわけで、なんだか人生ってほんとに面白い。
そして、そのシンボルともなっているのが、「西村酒造」の酒蔵です。この建物は、市に寄付されているもので、町並み保存会を中心に活用方法が模索されています。でも、酒蔵があってお酒がないってのもさびしいよね~。
そんな発想から、岩松のどぶろく「なっそ」が誕生することになりました。「なっそ」は、愛媛県で最初にできた「どぶろく特区」を利用したお酒です。真っ白な白い姿は、なかなか美人なお酒なのだけど、お味はすっきり辛口で、男前な風味です。
この日、そのなっその今年の新米(予定)の田植えがありました。去年は、機械に使われていたHくんも、今年は余裕の操作です。虹色ツーリズム研究員も加わっての作業で、結構大人数。このブログのタイトル画像もこのときの写真なんですよ。「遊海」さんにホームステイしていたビザくんも、人生初めての田植え体験でした。
アメンボが悠々と泳いでます。
お約束ですが、子どもたちもおおはしゃぎ!
職員も教えてもらって、がんばりました。ちなみに、左のTくんは、帰宅してみると、蛭に足をかまれてたみたいです・・・(汗)
テンガロン風の麦わら帽でインタビューに答えているのが、保存会の会長の兵頭さん。いつもにこにこ本業は電気やさんです。
御殿町画廊の福島さんに、田植え指導してくれたのは、ご当地で四国の道のパトロールをしてくださっている源太郎さん。ちょっと耳は遠いですが、4トントラックをばりばり乗りこなす元気なおじいちゃんです。
普通のお米の収穫時期よりは少し遅くなると思いますが、自分で植えたお米がお酒になるなんて楽しいです。
この日この場所を訪れたのは、広報「宇和島」6月号に、ここ大平に住んでいる豊島さんの寄稿につけるスナップ写真を撮るためだったのですが、同じページにある「どがいもこがいも」でも市民の方にあまり知られていない「大平の棚田」について知っていただく機会になればと、いい撮影ポイントがないか、右往左往しておりました。
そこにちょうど居合わせたのが、ここ大平地区の自治会長の森田さんです。
このとき、森田さんは覚えていないかもしれないのですが、私たちにこう言われました。
「ここは限界集落やけん。今のうちに写真とっとってくれよ。」
ここが「限界集落」と呼ばれる場所だということは、ずいぶん前から知っていたのですが、お恥ずかしいことに、このとき初めて「故郷がなくなる」という現実を、わが身におきかえてリアルに感じました。
私は、宇和島市内に住んでいますが、故郷と言える場所は、同じ宇和島市の海岸にある小さな集落です。今はまだ若い人たちも少し居ますが、同級生(全員で18人しかいません)のうち、私を含め、ほとんどの人間が実家から出て行っており、地元に住み続けているのは、たったの三人しかいません。他人事ではないですよね。
そして、この地区の唯一の「若者」豊島さん。豊島さんは、去年のツーリズムのワークショップのときに、「何をしてみたいのか」という問いに対して、「できるかどうかは別でもいいんかね」と前置きの上で「丸太小屋を一からみんなで作りたい」という夢を話してくれました。
これは、何かひとつの物語になるんじゃないのかな。限界という言葉の響きに抵抗する力になるんじゃないんかな。そう思いながら、補助申請を再び書き始めました。地方整備局の締め切りまで、ちょうど一週間というタイミングでした。
ちなみに、この広報、当初は吉田町の某研究員に寄稿いただくところ、原稿があがらなかったため、豊島さんに急遽スイッチしたんですよね。つまり、その研究員さんが「今月かけんけん、別の人に頼んでや♪」と言わなければ、そしてこのとき、森田会長のつぶやきを聞かなければ、このタイミングでここに来ることも補助申請をあげることにもならなかったはずでして。
ついでに言うと、所管課から直接起案したものでもないため、ぎりぎりまで、地方整備局とやりとりをしてくれて、申請書の郵送のために、時間外で郵便局に走ってくれた企画調整課のS先輩の存在も大きいんです。書類の最終確認で、ほとんどパニクってた私に笑顔で冷静に書類チェックをしてくれて、精神的にとても和みました。
いや、無事採択できたから良かったのですが、今となっては、私にはこれが全て、めぐり合わせのように思えます。