このブログは、私shioと、現在、大平に暫定滞在中のsuwaが気ままに書いています。
書き手が複数人おりますので、コメントなどをいただきます場合、投稿者をご確認ください。

2008年11月29日土曜日

いろいろあったなぁ

今日は、これまでの記録を整理するため、津島支所にもぐりこんで、事務作業を行いました。
調査入ってからこっち、いろいろありましたが、おもしろいことがたくさんあったなぁ。

月曜日に、M田会長が、所要でこちらに来られるため、M田会長には、そのときにお話をお伺いすることにさせていただいてます。
それで、Y下さんちを除いて、一通り全世帯の聞き取りが終了。
まとめ作業を捕捉しながら追加でお話を伺っていく予定です。

時々、読んでいただいてる皆さんから、いろいろと感想をいただくんですけど、結構、ブログに書いてる内容は、これでも抑えてるんですよぉ~。
ちょっと書けない話もありまして(笑)現場は、ブログの100倍おもろいことだらけです。

調査終了後は、いよいよ丸太小屋大作戦へ取り掛かっていきますが、ブログを読んでいただいて、大平に興味の湧いた若人の皆さん、ぜひ参加してくださいね♪

これまでの価値観が覆るような、カントリー生活を保障しますらい。

2008年11月26日水曜日

トッポ話か真実か

津島町では、「とっぽ話」というのがありまして。
私、「事実を大げさに話している」ことを「とっぽ話」だと思っていたのですが、「まったくのホラ話」のことなんだそうです。
そうだったんだぁ。

というわけで、源太郎さんのお話は、事実を「ちょっと」アレンジしているだけ、とご本人話していたのですが、しんじれん(笑)

そんなわけで、渦中の人、源太郎さんにお話を聞きました。

○疑惑の「なんこー様」の謎

大平の皆さんが、「なんこーいん様」と言ってらしたので、南光院天海さんの関係かなぁと、「南光院」だと思っていたのですが、長らく「悪」と言われていた「楠木正成」が、江戸時代後期に入って、ブームになったことがあったそうで(尊王思想が高まったことによるのじゃないかと)、大平にまつられている方も、その頃のゆかりの修験者ではなかったかと思う、とのこと。
そうだとすると、「南光様」じゃなくて「楠公(なんこう)様」なのか?
謎は深まるばかりです。

○器用なおばぁちゃんだったね
源太郎さんのおばぁさんは、おへんろ宿「てんや」をきりもりされていたのだそうですが、おへんろさんの中には、妊婦さんもいたりして、赤ん坊とりあげたこともあったのだそうです。
また、昭和南海地震のあと、井戸の水が出なくなったため、おばあさんが祈祷したところ、出るようになったとか。
それはうそやろー(笑)

○大平の人はどこから?
元々は、藤原純友の乱のときに、負けて海岸端に散っていった家来が、山へ隠れ住むようにして入りはじめたのではないか。柿の木側からあがってきた人たちが、「東谷」あたりへ。柏側からあがってきた人たちが、Tよ島さんとこのあたりではないかと思われる。
山の中に今でもお墓が残っているところがあり、室町時代頃から人が住んでいるのでは。
東谷、西谷、茶堂がそれぞれの集落であったが、まとめて「大平」と言うようになった。
名前の由来はわからんけど、平らな大地であったらという願いがこもっとるんやないかねーとのこと。
もう本当なんだか、アレンジなんだかよくわかりません。でもおもしろい話なんですよねー。

○ほかに記録は残ってないんですか?
昔は、口伝がほとんどで、字をかけ人自体そんなにおらんかったやろーけんなー。宿帳とかもあったけど、ナシを作る人がおって、実にかぶせるのに使うたけん、全然ないなぁ。あっはっは。こんなことなら、とっとったらよかったなぁ。

とっといてほしかった・・・。
ほかにも、ちょっと書けないような放送コードぎりぎりなお話も飛び出しまして、楽しいお話がたくさん聞けました。

2008年11月21日金曜日

なんこー様のお掃除!

いつもいつも大平に来ると、あんびりーばぼーなことに遭遇するのですが、この日も強烈ですよー。
皆さん覚悟はよろしいですか。

それではなんこー様掃除の日レポートです。

なんこー様のお掃除の日ということで、Tよ島さんのお母さんを車に乗せて、現場へ向かっていたところ、途中で、てけてけ歩いてあがっていたK島さんと遭遇。そうこうするうちに、なにやらきゅーきゅーという不吉な声が聞こえてきました。


ふと、声のする方向を見ると、そこには・・・ん?さっちゃんとゴンちゃんのような?

もしやあれは!Σ( ̄ロ ̄lll)!!山の奴!


なおも、きゅーきゅーと言う声は聞こえます。
嗚呼。いつも5まで数えないと食べられません芸を見せてくれる、あの、のほほ~んなゴンが!


見たこともない戦闘モードです・・・。ところが、おろおろする私たちの目に、もっと驚愕の光景が!!


K島さんあぶないですっ~~~!!!

阿鼻叫喚パニックの調査隊を尻目に、
「こりゃ~!ゴン!!」
と言いながら、二匹の犬の間で、イノシシをひっぱるK島さん。すかさず網さんも後追い。

まさか、横取りっ!?
その後、さすがに、二匹がひっぱってるから、勝てなんだぁ・・・。と、戻ってきたK島さんおんとし還暦後成人式。


つ・・・・・つよいです・・・。最強です。

これには後刻談があるのですが、それは最後に持ってきまして、気をとりなおしつつ。


みんなでなんこー様へと出発です。



っていうか、茂りすぎだし!!
なかなかお掃除に来られないんだそうですが、旧暦の10月28日(今年は11月25日)のお祭前に、一気にやりあげますよ。


男衆は、主に草刈と、お宮の上にかかる木を剪定。


女子衆は、お宮の近くの草引き担当です。


久しくあけられていないがために忘れられていたお賽銭の仕掛けをみんなで思い出してたり、


S子さん、あやうくご神体になりかけたり(笑・私このままここに座っとこかねーなんて言ってたのですが、念のため、お掃除です。お掃除!)


同じ集落でありながらも、足や腰に負担がかかるため、なかなか行き来できないお母さんたち(そもそも、すごい坂道で、家も離れているためA子さんちからM子さんちやTさんちに行こうと思うと、歩けば1時間近くかかるのではないかと・・・。)も休憩しつつ談笑したりしながら。


無事終了です。

ちなみに、このワシントンヤシ・・・じゃなかった、イチョウの木は、お宮が出来たときに植えた記念樹だそうなのですが、誰とは言いませんが、切りすぎたらしく、こんなつんつるてんに・・・・・。


しかし、綺麗になるもんですなぁ!9枚上の写真とは、場所が違うんじゃないかと思っちゃいます。

その後は、みんなで集会所に集まり、ささやかな祝宴です。
何気に違和感なく入り込んでご相伴に預かってる自分たち調査隊♪グッジョブ(笑)

K島さんちの山の幸満載のおにぎり

栗も入ってましたよぉ!しかもでかいし!!
そしてM田会長さんの奥様お手製スイーツもいただきました!裏ごしが大変なんよね~と、苦労話を聞きながらもぐもぐ。美味しかったぁ~。ほっぺたおちました。。。芋にもスイートポテトに向いてるのや、東山に向いてるのや、品種によって、いろいろなのだそうです。でも、どの芋もイノシシ被害にあいまくり。今年は特にひどいみたいです。
イノシシと言えば!そういえば、あのイノシシはどうなったのかなぁ・・・。まさか、あの日見たみたいに・・・。
ぷるぷる。
考えまい。
えーっと、M田会長から、「なんこー様」のお話も聞かせてもらいました。
江戸時代の頃らしいのですが、「大検校(だと思う)」で「天山南光院敦盛(あまやまなんこういんあつもり。漢字はなんとなく当て字)」という方がいらっしゃったそうなのですが、南光様と呼ばれて、慕われていた宿毛の方の和尚さんらしいんです。
この和尚さん、御所にある御殿桜が枯れたとき、名だたる高名な僧が、咲かすことのできなかったものを、見事咲かせてみせたのだそうで、それに喜んだ帝は、褒美として、12体の仏像を見せました。
どれかひとつ選んでよいと言われた南光さま、おもむろに、仏像をくすぐったところ、そのうち一体の仏像が笑ったそうなんです。
で、その笑い地蔵を持ち帰ることにしたそうなのですが、その頃、大平では疫病がはやり、南光様は、大平に来て、疫病を祓ってくれたそうなのですが、南光様自身も疫病にかかり、なくなってしまったのだとか。
そこで、命日の10月28日に、お祭りをしていたのだそうです。
ちなみに、この南光様のお世話をM田会長さんちがされていたそうで、ご祈祷に使っていた巻物をM田会長さんちでは奉ってます。残念ながら笑い地蔵はないらしい。うーむ。残念。
以上が、この日集会所で聞いたお話しなのですが、自分が源太郎さんに聞いた時には、確か「あれは、楠木正成がぁ・・・南朝がぁ・・」って言ってた気がしたんですよね。
その話をすると
「また源兄は、うそばっかりついて~!そんなにさかのぼらんで、江戸で~」
って、みんなけたけた笑ってたんですが、これをなんで「なんこー様」と書いているかについては、次回へ続く。

おまけ
で、この日の夜、某所で寄りに出たのですが、鍋を囲む予定にしていまして、会場に行ったところ、仕事でお掃除欠席だったTよ島さんがいまして、
「今日、うちの犬がイノシシの足くわえて戻ってきたんよなー。」
と一言。
まさかっ!さっちゃん!?
どうやら、大きさからして、違うイノシシらしいです。
・・・良かった。いや良かったのか??

2008年11月13日木曜日

へんろ道の草刈り!

16日にトレッキング・ザ・空海あいなんの柏坂コースイベントがあるため、前々からへんろ道の草刈をしないとと話していたのですが、忙しくてのびのびになってまして。

もういい加減今日しか自分のスケジュールがあいてなくて、ぎりぎりどん詰まりの日程で、出動してきました!

おなじみG太郎さんと、てくてく草刈旅♪
いつもならすいすいあがる柏坂の道が今日は無茶苦茶しんどかった・・・。

うーむ、さすがG太郎さん・・・草刈機しょったまま、さくさくと上がっていきます。

猪のヌタ場あたりは、かなり茂っていたのですが
このとおり♪
道々、かんたろさんや、イノシシの足跡など、あまり遭遇しいたくないものもありましたが、野の花や野いちごがたくさん生えていて、すがすがしいお掃除日和でした。
晴れ渡る空の下で記念撮影。
今日は純友の埋蔵金伝説の話を聞かせてもらいました。
「朝日さし 夕日さす 紫式部のあるところ」
だっけかな。
みたいな感じ。ここつわな奥からは、純友が本拠地とした日振島が見えるのですが、人間見えるところには行きたいもので、朝日と夕日がさすのは「峠」紫式部は「しきび」のあるところじゃないかなぁとか話してくれました。
今でも時々金属探知機持ってくる人がいるそうです(笑)
毎月一度のパトロールと、清掃活動を長年していただいているG太郎さん。いつまでもお元気で、お願いしま~す。

おまけ
お!岩松組の皆さん、なっそ田んぼのとこに看板がたってたよ!

2008年11月11日火曜日

大平にはおへんろ宿があったのです

本日は、Y下さんちに行く予定だったのですが、先様の都合で変更となり、Tよ島さんちに行きました。
お母さんに、昔の話を聞かせてもらったのですが、Tよ島さんちを始めとする大平の「茶堂」と呼ばれていた地域では、へんろ宿屋お菓子やさんなどもあり、昔は、たくさんのおへんろさんが巡礼に回られていたとのこと。
Tよ島さんちに今も残る看板を見せてもらいました。
「大平屋」だそうです。「木賃」の意味もわかんなかったのだけど、ようするに有料という意味だそうです。

Tよ島さんちのおじいさんは、とても信心深くてやさしい人だったそうで、道端で野宿しているようなおへんろさんも連れてきて泊まらせていたのだとのこと。しらみとかたくさんわいてて、そのおへんろさんが帰ったあとは、部屋中大掃除して、布団を綿まで開いて、お湯をかけて卵を殺し、もう一度ぬいあわせる作業をやっていたそうで、それがことさらつらかったのだとか。それでも、おへんろさんは、弘法大師さまだからと、招き入れるのをやめなかったのだそうです。すごーい。
なんだか、今回も心洗われるお話をたくさん聞きましただよ。
ちなみに、お庭では、最後のなっそ米が綺麗に干されてました。

大平の歴史におへんろ文化は、欠かすことが出来ない要素だなぁと学んだ一日でした。

2008年11月7日金曜日

おやつ作り♪

大平調査・・・何日目だっけ。
今日は、K島さんちで、おやつ作りをしました。
材料は、下記のとおり・・・・・。えーっと、何人分あるんやろ・・・。

まずは、カラフルなカキ餅を揚げます。
お餅も自分でついて、自分で食紅で色をつけて、陰干ししてから保存するのだそうです。このままでも美味しそう。

ちょいとつまみ食いしちゃいました。
続いて、しょうがをすります。これまた大量に・・・。ひたすらするのです。
でもって、水あめをあっためて、その中にお砂糖としょうが汁とをいれて混ぜます。
そして、玄米ぽん菓子、豆、カキ餅を全部放り込んで満遍なく飴がつくように混ぜます。
あったかいうちにおろして、握ったら出来上がり!
松ちゃんのは、心なしかにぎりが甘く、私のは、心なしか、でかすぎでしたが、美味しく出来ました♪
その後、K島さんの若かりし頃のお話を楽しく聞かせていただき、写真も少し見せていただきました。
かわいい♪
そして、今日もすずめ蜂が・・・。だいぶ慣れてきたなぁ。
もう普通に、こんな虫や
こんなトンボが、人懐っこく平然と近づいてくるので、
だいぶカントリー生活になじんできた感じっす・・・(笑)

2008年11月5日水曜日

とぅるっ?

問題。

この写真の中に何かがいます。何かわかります?

地元のお話によると「鶴」なのだそうです。
鶴というと、とりよ~とりよ~とりたちよ~~~♪ (わからない人はお父さんお母さんに聞いてね)
な感じで、え!こんな灰色なん?って感じですが、「ナベヅル」ではないかとのこと。
迷ってきちゃったのかなぁ。網さんにも聞いてみたのですが、南楽園があるあたりに、昔から時々来ていたみたいです。
というわけで、津島町方面話題ということで、こっちに書いてみました。

2008年11月4日火曜日

神事は不思議だ・・・・。

昨日は、本当にひやくて危うく風邪ひくかと思ったのですが、ことなきを得ました。
というわけで、元気に驚愕の!津島町統一秋祭りレポートです。

大平地区には、すでに神社はありません。そんなわけで、旧畑地村域は、三島神社の氏子さんとなります。
普通、神社の神事って午前中で、お旅所が午後っていう固定観念があったので、早朝来てみたのだけど、ここの三島さまは宮だしが、午後からなんだそうで、とりあえず人のいないところをぱちり。

この真ん中にある木なんですが、なんでこんなとこに生やしているのかよくわかんなかったんですけど、この後ものすごい光景と出会ってしまうなんて、このときは全然わからなかった・・・。


下に降りたところで、赤い集団を捕捉!あれは!!鹿に違いない!!!
やっぱり鹿さん@上畑地アダルトチームでした。
前日 も、家々を踊りまわっていたそうです。この日は小雨がぱらつくしめった地面。頭がぬれないように、踊らない間は、ナイロンでカバー。なんかかわいいぞ・・・。

少し踊れば、わらじも、ぐっしょりというわけで、交換されてました。
昔ながらの技術ですね。
しかも、缶コーヒーいただいてしまいました。縁起物やけん、もろときさいと言われ、素直にいただきましたが、しまったー!お花代も出してないのに。神様のお使いから、恵んでいただくなんて嗚呼ばちあたりな・・・・。
と、反省しながら、岩松方面へ逃亡♪
途中、岩松の三島神社の牛鬼くんと遭遇しました。

そんなわけで、岩松にちょっくら寄ってみたところ、makさんたち、商工会青年部の皆さんが、お船とほていさんの準備をされてました。ほていさんは・・・ちょっとしどけない格好をされてまして(笑)、子供たちの夢を壊すとまずいので、写真は控えました・・・。
続いて、清満方面へ。
なんか清満の方も、いろいろ神社ののぼりが立っていたのですが、名前が同じとこがいいかなと、三島神社へ。
ここは、10時から祝詞ということで、総代さんが、ぞろぞろと来られてましたが、思いのほか静かな感じでした。
ん?なんか視線を感じる・・・。
お馬さん!?なんで??
神馬なのだそうです。あー、びっくりしたー。お役目ご苦労さまでございます。
こちらは、三島神社って書いてある石柱の上のまーく。亀?すっぽん?河童?気になる・・・・。

途中、こちらでも家々を回っている鹿さんを目撃♪ここの鹿さんは、白いお顔で日焼けしてなかったです。お衣装も茶系で、秋らしい感じ。
ふらふらしているうちにいい時間になりましたので、畑地の三島さまに帰ってきました。11時から祝詞ということで、こっちの総代さんたちは、全員ネクタイにスーツ・・・・。うーん・・・・。古式ゆかしいというか、厳かやなぁ。
巫女踊りの女の子たちは、小学生とのこと。こっちでは、「浦安の舞」と言うのだそうです。
ずーーーーっと、「1、2、3、4」と掛け声をつぶやいているのが、よく聞こえました。けなげ。
午後1時から宮入りということで、お昼休憩。神主さんを先頭に、ぞろぞろ降りてくるところは、どうにも時代劇っぽくて、おもしろい光景ですなぁ。
練の皆さんもぞくぞくと到着してきました。えっ?こんなにみんな上に上がるの?狭くないっすか?
こんもりお山の中のお社なので、そんなに上広くないし。赤いお尻並べてる牛鬼さんたちは、下で待ってるんだろーなー。
と、思ってたら大間違い!みんな上がりましたよ!!
うわ、大変。下畑地の鹿踊り@ヤングチームも到着し、ぞろぞろとお宮入りです。
あがったところで、おみこしが登場し、神主さんにお祓いしていただいて、鹿さんが踊りだしたのですが、
後ろから上畑地@アダルトチームが、お祓い受けてるなと思ったら、
おもむろに踊り始めましたよ!
かくして、鹿踊り×2団体の競演。しかも、なぜかアダルトチームの方が踊るの遅かったのに、終わるのほぼ一緒だし。
あー、びっくりしたーと、息つくひまなく、宮だしが始まったのですが、太鼓さんが最初です。お作法としては、この榊の周りを三週するんだそうです。
続いて「鼻高」さんが、回っておりていったあと、四つ太鼓も三周・・・。なんかこれがものすごい勢いで、えーっと驚いたのですが、まだまだ序の口。
この後、 子供牛鬼と親牛鬼が、ものすごい勢いで大回転!!!なんでそんなに勢いつけて回ってるんですかーっ???

お神輿も、ものすごい勢いで回転!わけわかんねーーーー??
みんな出てった後には、榊・・・ぼろぼろになってますた・・・。
ところが、驚愕の神事はまだまだ続くのです。お旅所に移動となったのですが。
待つこと1時間。国道から見ると、山の手の奥にあるへんろ道を、ぞろぞろとやってくるお練りやお神輿や巫女の皆さん。
うーん。かなりシュールな光景だ・・・。
そしてT島さん率いるお神輿もお旅所に到着。ここでまた驚愕の出来事が!
四つ太鼓と牛鬼が競ってる・・・。子供積んだままだし・・・。
牛鬼とお神輿が競ってる!しかも、前後に一個ずつついてるし!牛鬼のお尻にお神輿くっつけるってあり???
今度はみんなで後ろ向き・・・。うーむ・・・・前後に動いてるのもわけわからんし。
勢いあまって、お神輿さかさまになってるし・・・!?その後、やっぱりすごい勢いで、みんなでお旅所を三周。お神輿は、お旅所に安置されました。
すると、おもむろに、ブルーシートと、むしろがしかれ、お供え物も勢ぞろいしたところで、神主さん、巫女さん、総代の皆さんすたんばい!
何事もなかったかのように、粛々と神事が行われました。もうこのあたりでブログ担当者目がテンになってたんですけど・・・追い討ちをかけるように、やにわに五つ鹿さん2チームが後ろで踊り始めまして、それをBGMに、何やらお祓いが始まりました。

それぞれの団体ごとに、代表者が玉串(でいいのかな?)をささげて神主さんが、お祓いしていきます。その間、鹿の皆さんおどりっぱ。
すべてが滞りなく終了し、今度はさっさと撤収。片付け早っ!

という、一日だったのですよ。
いやはや、びっくりしたなぁ。結構カルチャーショックです。地元では珍しくない当たり前のことなんだと思いますが、びっくらこきました。
こういう、摩訶不思議な地元の祭事って、調べてみるとおもしろいだろなぁと思います。
同じ日じゃなかったらいいのになぁ・・・。
お練にしろ、お神輿の継ぎ手にしろ、人口流出とともに、担い手がいなくなっていて、どこの地域でも存続していくのが大変と、よく聞きます。何かよい伝承の方法を考えていきたいものです。