私、「事実を大げさに話している」ことを「とっぽ話」だと思っていたのですが、「まったくのホラ話」のことなんだそうです。
そうだったんだぁ。
というわけで、源太郎さんのお話は、事実を「ちょっと」アレンジしているだけ、とご本人話していたのですが、しんじれん(笑)
そんなわけで、渦中の人、源太郎さんにお話を聞きました。
○疑惑の「なんこー様」の謎
大平の皆さんが、「なんこーいん様」と言ってらしたので、南光院天海さんの関係かなぁと、「南光院」だと思っていたのですが、長らく「悪」と言われていた「楠木正成」が、江戸時代後期に入って、ブームになったことがあったそうで(尊王思想が高まったことによるのじゃないかと)、大平にまつられている方も、その頃のゆかりの修験者ではなかったかと思う、とのこと。
そうだとすると、「南光様」じゃなくて「楠公(なんこう)様」なのか?
謎は深まるばかりです。
○器用なおばぁちゃんだったね
源太郎さんのおばぁさんは、おへんろ宿「てんや」をきりもりされていたのだそうですが、おへんろさんの中には、妊婦さんもいたりして、赤ん坊とりあげたこともあったのだそうです。
また、昭和南海地震のあと、井戸の水が出なくなったため、おばあさんが祈祷したところ、出るようになったとか。
それはうそやろー(笑)
○大平の人はどこから?
元々は、藤原純友の乱のときに、負けて海岸端に散っていった家来が、山へ隠れ住むようにして入りはじめたのではないか。柿の木側からあがってきた人たちが、「東谷」あたりへ。柏側からあがってきた人たちが、Tよ島さんとこのあたりではないかと思われる。
山の中に今でもお墓が残っているところがあり、室町時代頃から人が住んでいるのでは。
東谷、西谷、茶堂がそれぞれの集落であったが、まとめて「大平」と言うようになった。
名前の由来はわからんけど、平らな大地であったらという願いがこもっとるんやないかねーとのこと。
もう本当なんだか、アレンジなんだかよくわかりません。でもおもしろい話なんですよねー。
○ほかに記録は残ってないんですか?
昔は、口伝がほとんどで、字をかけ人自体そんなにおらんかったやろーけんなー。宿帳とかもあったけど、ナシを作る人がおって、実にかぶせるのに使うたけん、全然ないなぁ。あっはっは。こんなことなら、とっとったらよかったなぁ。
とっといてほしかった・・・。
ほかにも、ちょっと書けないような放送コードぎりぎりなお話も飛び出しまして、楽しいお話がたくさん聞けました。
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