調査の内容を少しずつ整理しています。
画像は、T菊さんからお預かりした代々伝わる口説きの文句。
はっきり言ってわかりません・・・・。
これを更にひらがなに起こしたものもあるのですが、全部ひらがなで書かれているため、悪戦苦闘。
偶然「明石騒動」「口説き」でヒットしたHPから三浦の口説きの文章(大平みかん園さん感謝!三浦には保存会が立ち上がっていて勉強会があるそうです。)をお借りしたのですが、これも、つなぎつなぎの状態で、不思議なことに、取り上げている部分が少し違うため、それぞれの資料を全部あわせないと、わけがわからん!
今やっと、半分くらいかなぁ。でもだいぶ字に慣れてきました。
ちなみに↓は、一ページ目
「 明石の初段」
さては日本六十四洲 お通りあそばすお大名方は、二百六十四人聞けど、歩くにねずよい明石の殿は、殿は松平謝膳の守、驕る、おん殿、末長からん。蓼を食う虫、好きとは言えど、味な物好き御身にむかう
だと思うんだけど・・・・。いまいち意味が通じない部分もあるし、読み解いていくと、日本語としておかしいとこもあって、元々口伝のものを文字お越ししたのが、なんとなくわかります。
この口説き「明石騒動」と呼ばれるお話が元になっていて、尾張屋源吾の娘小菊が大名行列を旅害し、無礼討ちとなる悲しい悲しい物語なのです。
三浦も大平も平家落人衆の集落と言われているので(市内海岸部の盆踊りには、まだこの口説きが残っています。)、伝わっているあたりが、いかにもな気はするのですが、それにしても、なんでこんなに違うんだろー。
なんとなくなんですけど、三浦の方は表現が華美。大平の方はちょっと控えめ。
そんな感じがします。
言葉も大平の方が地の言葉のような気がする。
山と海の違いかなぁ。
はぁ。もう少し頑張ろう・・・。
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